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「神のことばとイエスのあかしとのゆえに」(9節)、苦難にあずかっているヨハネが、イエスの啓示を受けたのは、「主の日」(10節)、すなわち週毎の日曜日(イエスが甦られた「週の最初の日」)ではなく、当時小アジアで少なくとも月に一回守られていた「ローマ皇帝の日」、「その主の日」のことでした(10節)。皇帝崇拝が制度化されようとしていた時代背景を考慮すると、その特別な日に、偶像崇拝に陥り、あるいはこの世に迎合し、主の教えから離れ始めていた諸教会に、警告を発されたということは意義深いのです。
エペソから始まって円を描く形で地理的に設立されていた七つの教会には、当時教会間の書簡などがこの順序で送られていたのでしょう。イエスのメッセージもそのルートに沿って送られることになります。「あなたがたは、世界の光です。...このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタイ5:14〜16)と、主が語られたように、「金の燭台」
(12節)に象徴され、円を描いて並ぶ七つの教会の真中に立っておられるのは神の御姿そのものの、イエス・キリストです(13〜16節)。それはイエスの
三人の直弟子ペテロ、ヤコブ、ヨハネがパレスチナでは一番高い山、ヘルモン山で、来るべき神の国を垣間見たとき目撃した、あの権現のイエスのお姿そのもで
した。大祭司の白い衣装に締められた金の帯(出エジプト28章)は、『奉仕』を象徴するものでしたが、今、栄光の主は神の右に座して、大祭司として私たち
の救いのため仕えて下さっているのです(へブル人7:24〜28)。「白い羊毛のような、雪のように白い頭と髪の毛」は、「年を経た方」(ダニエル7:
9)、すなわち神の御姿であり、旧約聖書で神を描写するのに用いられてきた性格、特徴が黙示録ではイエス・キリストに適用されているのが窺えるのです
(17節の「わたしは最初であり、最後であり」もその一例で、イザヤ44:6、48:12で、神に対して用いられた表現でした)。イエスの手中にある
「星」(16節)は「思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる」(ダニエル12:3)から、神の聖
徒たちに委ねられたミニストリー、神の御目的のための働きを象徴するものとみなすことが出来ます。神の働きに与かる者は、この悪に満ちた暗闇の世にあって
神の光に照らされ、光り輝く星なのです。「口から出る鋭い両刃の剣」(16節)は言うまでもなく、イエスの用いられた唯一の武器、神の言葉(へブル人4:
12)であり、イエスが立証されたように、究極的に勝利を得る者は主を愛する者、主の道を歩む者なのです。「主よ、あなたの敵はみな滅び、主を愛する者は
力強く日がさし出るようにしてください」(士師記5:31)と、士師デボラとバラクが願い歌ったように、イエスに従う者は主のように変えられて行くことで
しょう(「強く照り輝く太陽のよう」になる。16節)。
甦りによって「死」を克服された方は今、「死とハデスとのかぎを持って」おられます。すなわち、死をも支配しておられるのです。この「いつまでも生き
て」おられる方(4:9、:10、10:16では、「永遠に生きておられる」と、父なる神に対して用いられています)が、恐れから気を失ったヨハネを御手
でもって力づけてくださったのでした。このようにして、ヨハネは預言を書き記すことになります(17〜18節)。「あなたの見た事」は、一章に記されてい
ること、「今ある事」は、当時すでに存在していた七つの教会に書き送られるよう命ぜられたニ〜三章に記されている手紙、「この後に起こる事」は、四章以降
に記されているビジョンのことをそれぞれ指しているものとみなされます(19節)。20節で「七つの星」は、「七つの教会の御使いたち」というヨハネ自身
による解説が与えられていますが、「御使いたち」の意味はあいまいで、?天の使い、?地上の使い、すなわち、ミニストリーを担う者たち、?各教会の物理的
ではない、超自然的、霊的側面を擬人化したもの、の三通りの解釈が考えられます。しかし、先に述べたように、旧約聖書を参照にすると、?の見解が妥当なよ
うです。このように、ヨハネの黙示録に登場する象徴はすべて旧約聖書から解釈の糸口が得られるようです。
イエスが甦られた「週の最初の日」、すなわち週毎の日曜日ではないローマ皇帝のために設けられた特別な日。
10節
11節
マタイ5:14〜16
13〜16節
出エジプト記28章
へブル人7:24〜28
ダニエル7:9
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