| 1章 預言者としての召名 | |
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【1】 1章 預言者としての召名
ユダの王ヨシヤの治世第十三年(627BCE)から、バビロン王ネブカデネザルによるエルサレム陥落の年、すなわちゼデキヤ王の治世第十一年(586BCE)の終わりまでの41年間、エレミヤの預言者としてのミニストリーがなされたことが分かります。
「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた」(5節)とあるように、神のイニシアティブにより召名を受けたエレミヤは、イザヤがそうであったように、「主の言葉」を民に語る器としてまずくちびるを聖められます[1]。 続いて主は、「わたしは、きょう、あなたを…引き抜き、…引き倒し、…滅ぼし、…こわし」(10節)と、行なわれようとしておられることが裁きであること、しかし最後には、「建て、…植えさせる」と復興への希望を抱かせるメッセージを語られたのでした。
「あなたは何を見ているのか」(11節)という問いは、主が「見張人」として立てられた預言者たちに主の預言的眺望を示されるときよく用いられた問いかけでした[2]。 エレミヤは「アーモンドの枝を見ています」[3]と答え、主は、「よく見たものだ。…わたしは見張っているからだ」(12節)[4]とお答えになります。エレミヤはまずは預言者、すなわち、見張り人に必要な観察眼のテストに合格し、同時に、御口(みくち)から出る神の言葉、預言は間違いなく速やかに成就されることが示されたのでした。 その後エレミヤが見たビジョンは、北方からの異邦人の侵略により神の民に裁きが下るというものでした[5]。聞く耳のない民に「主の言葉」を告げる預言者としての召名が、決して生易しいものではないことを覚悟しておくようにとエレミヤに迫られた主は、しかし、「城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁」のようにエレミヤを不敵(ふてき)にし、守ってくださることを、また、主ご自身がいつもエレミヤとともにいてくださることを約束されたのです[6]。なぜなら、エレミヤに逆らう者たちとは「ユダの王たち、首長たち、祭司たち」(18節)、つまりユダの指導者すべてであり、したがってエレミヤのミニストリーが指導者層すべてを敵に回すような大変困難なものであったからなのです。そのことを主はエレミヤのミニストリーの最初の時点ではっきりと示されたのでした。
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